学校文化における信頼と管理

あさイチで子どものかばんが重い、という特集をしていました。

9時台の企画 中学生のカバンも重すぎる!|NHKあさイチ

学習指導要領の改定で教科書が厚くなったこと、ワークやプリントなどの副教材、辞書
部活動の道具や、お弁当、水筒…合わせて10kg近い荷物を毎日持ち運んでいる子どももいるそうです。
自分の中学生のときを考えても、そうだったよなぁと。
「置き勉」(勉強道具を置いて帰ること)は禁止されていて、毎日家に持って帰りなさい、と言われていました。
当時から物の管理が苦手だったわたしは、必要なものまで持ちかえってしまって
次の日によく教科書やワークを忘れていたものでした。

この、かばんが重いという問題に対して
広島市の中学校の生徒さんが校内で取材をおこない
教職員や生徒に校則の見直し提言したとのこと。


School bag is very heavy!!(提供:牛田中) ※会員登録がなくてもご覧いただけます | ニュース | 動画 | 中国新聞アルファ


平たく言えば、自分たちの主張を理解してもらい、実行させてもらうには
「自分たち生徒を信頼してもらう」ことが大切だ、というような趣旨だったと思います。
その名も「生徒力」
そのために美化委員がロッカーの教科書の置き方をチェックしたり
教科ごとに教師が持ち帰っても良い教材を指定している…という事例が紹介されていました。

まあ、まあ。
私も自分が中学生だったらこうやって行動してると思います。
自分たちでできるから、先生認めて!って。

でもどうも、もぞもぞする。
おそらくこのもぞもぞの原因は2つ。


  1. 生徒同士で管理をおこなうことに対するフォロー
  1. 生徒への信頼

(この学校がどのように対処されているのかは明らかになっていないので、学校に対する批判ではないということだけはっきりさせておきますね)


まず、生徒同士の管理について。
これって結局は生徒同士の相互管理を促進してしまっていて、
生徒の中で「できる人 / できていない人」を切り分けて
できていない人がクラスの中で立場をなくしたり、生活しづらくなっているのでは、ということ。

物の管理については、私もどちらかというと未だに「できない人」で
自分でもどうしてなくしてしまうのか、どうして忘れてしまうのかわからないときがあります。
それだけではなくても、今や発達障害などいろんなニーズのある生徒さんがいることも
クラスの中であきらかになっているなかで

「どうしてこんなに整理できないの?」「できるようにみんなで考えよう!」

みたいな展開になってたら、ホント地獄だなと…
もうほっといてくれよ、と。

生徒さん同士が配慮しあえて丁寧にフォローしてあげられたいいだろうけど
そういうスキルを持っているとは限らないし
もはやこれは専門の先生の仕事になってくるのではないかな、と思います。
ものの整理や持ち物に対する判断等は人それぞれグラデーションがあるということを
どこまで生徒さん同士の管理に委ね、そしてある程度ほおっておける大枠をつくるのか。
「生徒力」を高めようとする自主性を保たせつつ、こうした細部のケアは結局先生の仕事になるので
管理してないようで管理してる、という難しい仕事をされてるなあと思いました。


2.生徒への信頼

これは、持ち帰ってよい道具を教師が指定するということについて。

…いや、好きにしてよくない?自分で決めたらいいじゃん!!!

と、いうのが私の正直な感想です。
そこまで管理が必要だろうか…?いや、きっと必要なんだよね。
教科ごとに指定するのは、また生徒の混乱を生むのではとも心配ですが。


「生徒力」という名目で生徒同士の相互管理を高めるやりきになるては
やや釈然としないのですが、正当なやり方で問題提起し教員とすり合わせを行ったという
行動力と論理的な思考力については、とっても評価できると思います。

それに対して、ではないけど
こちらも学校関連で気になるニュースだったので

www3.nhk.or.jp

運動会をつくる!という仕事をやっていた経緯もあって、お、楽しそう〜と思ったら
内容はむしろ真反対でした。

運動会を決まり切った「プログラム」として、いかに円滑に苦情が出ないように「管理」するか。
ひょ、ひょえーーーーー。ですよ。
まあ、運動会自体すること自体を「演技」って表現したりもしますし
いわゆる「学校の運動会」に自由闊達な雰囲気がないのは確かにそうなんだけど、そうなんだけど。。。

学校や運動会を取り巻く状況はめまぐるしく変化している
(昼食の問題、場所取り、多国籍の生徒、人数をさばく、判定etc.)
にもかかわらず、コンテンツがいつまでも変わらないから、こうしたちぐはぐな状況にならざるを得ない。
いっそのこと、やはり、競技からプログラムからつくりかえる必要があるんだなと思います。

例えば、極力言語での説明をしないノンバーバルな競技を増やすとか
ある程度文脈を省いて鑑賞できる競技、体験できる競技をつくるとか
ランチはケータリングにしましょうとか、小学校だけではなく地域の運動会にしましょうとか。
それならもう少しインクルーシブな競技をつくってみましょう、とか。

きっと小学校の運動会に求められていることは、地域社会との融和だったり
教育を理解してもらうこと、すなわち子どもたちが健康に明るく学校で過ごしていますという姿を
見せるのがなによりの目的なんじゃないかなと思います。
子どもたちにとってみれば、身体を使った表現や交流、競技を楽しむことがいちばん。
それを考えたらやはり変なところに荷重がかかってきていて、足し算しまくりのいびつなかたちになっている。
「こうします!」と一方的に学校や教育委員会が管理しアナウンスするのではなくて
もう少し状況をメタ的に捉えて引き算していくこと、保護者や地域住民を信頼し任せてみるということが
こうした問題の一番の落とし所であり、かつ、とても手間のかかる難しいことなのですが。

共同体をむすびつけるストーリーとしての運動会を、ともにつくれないかなあと思うわけです。



近所の小学校では春に運動会をおこなうらしく、みなさん練習を頑張っていました。
見に行ってもいいなら、行ってみたいな。