目は口ほどにものを言う(まじで)

YCAM行ったよ。これをしに。

 

「視線のモルフォロジー」

視線を通じて世界と繋がる。― 視線入力技術 LabACT vol.2 「Eye-Tracking Informatics~視線のモルフォロジー」

 

ものすごく単純に言えば、視線の動きで空間を移動してみよう!

そんな感じのインスタレーション作品です。

宇宙旅行にしゅっぱつ。びゅんびゅん。

 

 

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本作は、2 人の体験者が、3 次元仮想空間内に可視化された自身の視線の動きを通じて、コミュニケーションや空間内のナビゲーションをおこなっていくという、三上の90 年代の代表作のひとつを、最新の技術動向を反映しYCAM で再制作したものです。ビジュアルやサウンド、ハードウェアなどあらゆる面で、より精緻かつダイナミックに生まれ変わった本作を通じて、視線によるコミュニケーションや、自らの視線の軌跡が作り出すかつてない造形空間を楽しむことができます。 

 (YCAMホームページより引用)

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詳しく言うとこういうことになります。はい。

 

 

大きなスクリーンの中を、視線の動きだけで飛び回れてしまうのです。

どう動くかによって音や振動も変わってきて、アトラクションみたいでほんとに楽しい!

作品の終わりには、今まで辿って来た軌跡が映し出されるのだけど、これがまた人によっていろいろでおもしろい。

ぐるぐる螺旋形を描く人、上下運動が激しい人、直線的な動きの人。

いろいろ遊んでやるぞー!!っていう意気込みがある人ほどぐっちゃぐちゃになるのかなあ、という主観。

 

案外、無意識

この作品を体験するのにだいたい3分かかるんですが

飽きっぽいわたしは3分ずっとあれやこれや遊んでいられず

たまにぼーーーっと一点を見つめていました。

でもそのぼーーーーっとしていた時間もちゃんと軌跡として残ってるんですよねえ。

うかうかしてたら全部絡めとられて記録されちゃいます。

でも、そのぼーっとしてたときの軌跡って、決してまっすぐで平坦に描かれるわけじゃないんですよ。

無意識のうちにぶれてたりしてるんです。

 

すごく重要な個人情報なんじゃないの

意識的な視線の動きも、無意識的な視線の動きもぜんぶ記録されて可視化されて気付くことがあります。

 

「視線を可視化する」

インスタレーションとしては、とてもたのしい。

 

でもこれがひとたび社会に出ると

自分がいつどこでなにを見てるか全部ばれちゃうんです。

 

例えばグラビアアイドルの写真

どこ見てるかばれたら恥ずかしくないですか

 

例えば道ですれちがったかっこいいお兄さん

めっちゃ顔見てたってばれたら恥ずかしくないですか

 

 

っていうごくごく個人的な問題からはじまり(結構たいへんな社会問題ですけど)

 

 

この建物のどこをみんなはよく見てるのかな?

このへんが多いのかあ、それだったらうちの会社はここに広告出しましょう。

 

なんてのは、おそらくマーケティングに導入されていることでしょう。

 

意識的でも無意識的でも、あなたが「見た」ことにかわりはないのです。

 

 

なんて、挙げていったらキリがないのですが、視線っていうのは言葉より表情より触れることよりダイレクトにメッセージを発するわけですね。

電話の盗聴よりインターネットの履歴を見られるより、視線を盗まれる方がよっぽど怖いわあ。

 

 

「視線で対話する」っていうキーワードもおもしろそうだったけど、ちょっとまとまりそうにないのでおいておきます。コミュニケーション論のときに引っ張り出せるといいな。